前回からのつづきです。
最初から読みたい奇特な方はこちらからどうぞ。
こうなっては仕方がない、最後の1冊を読んでから考えることにしよう。
最後の1冊は、加納新太という人が書いた「秒速5センチメートル one more side」という本です。
新海監督作品のノベライズを担当したことのある方だそうです。
で、結論から言うと、私この小説ぜんぜんダメでした。
ファンの方、すみません。
なので、この小説が好きな方はここから先はお読みにならない方がいいかも知れません。
****
この小説は映画と同じ3話構成なのですが、1話につき1回ずつ超常現象(らしきもの)が起こります。
話を追うごとに章番号が小さくなり、超常現象へのカウントダウンになっている、という変わった構成です。
1回目の超常現象は桜の木の下のキス。
ヒロインと主人公は、まるで「2001年宇宙の旅」のボウマン船長のように、宇宙の秘密がわかってしまいます。
「わかったような気がした」ではなく、「わかった」と断言しています。
70年代ロック的に言えば、あるはずのない「天国への階段」を手に入れ、見えるはずのない「Dark side of the Moon」を見ることができ、映画「欲望」の主人公のように見えないボールを投げ返すことができてしまうのです(このへんのややこしい話はこちら)。
そりゃ「言葉にできない何か」は文学の永遠のテーマなんだろうし、映画にもそれらしき表現はあるけどね。
ここまで断言してしまうと、物語全体がいびつになってしまったような。
2回目はロケットの打ち上げ。
ここでは多少表現は抑えられてますが、たぶん主人公には天国への階段(「賢者の石」でも「モノリス」でも何でもいいんだが)を目指してロケットが飛んでいくように見えたようです。
ちなみに第2話で主人公の心は「ここではないどこか(アヴァロン)」をさまよっています。ここでも70年代ロックの雄、ロキシーミュージックが登場。
3回目はラストの踏切。
主人公は彼女とすれ違った瞬間にすべてを理解し、すべてを悟ってしまいます。
いわゆる「百万の言葉を費やすよりもひとつの○○が真実を伝えてくれる」状態(○○には人によって好きなものが入ります。「ジミヘンのギターの音」「一枚の絵」「深宇宙からの光」etc)。
ここでは「幸福そうな彼女の存在そのもの」なのでしょう。
このレトリックは実は大好物なんですが、今では「厨二病」の一言で片付けられてしまいそう。
言葉を交わさずに多くのことがわかるなんて、そりゃ単なる「思い込み」だろ、って。
****
他にもいろいろ違和感はありましたが、特にヒロインの描写に「?」でした。
第1話は映画と違ってヒロインの視点で語られるのですが、なんだか暗い。心閉ざしすぎ。魅力ない。
映画やコミックで、主人公に対してちょっとお姉さん目線の彼女とは、同一人物には思えませんでした。
ところが第3話では、片思いの大学講師の研究室に押しかけたりするストーカーじみた積極性を身につけています。
この講師がまた人間離れした変人(ロケット人間?)で、彼女を一切受けつけません。
何これ?このエピソード必要?
大学入学時の場面もずいぶんと奇妙に感じました。
初めての一人暮らしにウキウキ。
入学式は桜が満開。
これを誰かと一緒に見なければ、という発想が浮かぶ様子はまったくありません。
あれから5年しか経ってないのに。
ラストの踏切のシーンも、表面的に見れば新婚生活で浮かれていたヒロインは、運命の人とすれ違ったことに気づきもしません。
何から何まで違和感だらけ。
いずれにせよこの小説は「『遮断機が上がると彼女はいない』という描写が先にあって、後から無理やり---それこそ超常現象まで持ちだして---辻褄合わせを考えたモノ」にしか映りませんでした、アホな私には。
****
この小説のファンの方、文句ばかりで申しわけありません。
以下に紹介するエントリで、お口直しをどうぞ。
こちらの方もすべてのメディアに目を通したうえ、愛情あふれる一文---めちゃ長い---を成されています。
感想は大きく違いますが、同じくこの映画を愛する者として、大変大変楽しく拝読いたしました。
敬意を込めてリンク&トラックバックさせていただきます。
遅れてきた突っ込み
秒速5センチメートル one more side 感想
<「羨ましい悲恋」としての桜花抄>
まず始めに著者である加納新太さんに最大限の賛辞を贈りたいと思います(続きはwebで……じゃなくてリンク先で)。
……結果的にボロクソ書いてしまいましたが、映画はやっぱり星5つです、特に第1話。